舞台に出て行く前は、やはり独特の緊張感があります。
出て行ってからは本当にあっと言う間。
泣いても笑っても舞台は終わってしまう。
それまでの長い長い稽古もリハーサルも
怪我や疲労との戦いも、精神的な葛藤も
その一瞬のために向かっていて、
その一瞬の中である種の答えを得る。
努力してきたことが報われる時もあれば、そうでないことも。
ホッとしたり、落ち込んだり。
どちらにしても、大抵舞台メイクがぐしゃぐしゃになる結果に。
舞台に出て行く前は、やはり独特の緊張感があります。
出て行ってからは本当にあっと言う間。
泣いても笑っても舞台は終わってしまう。
それまでの長い長い稽古もリハーサルも
怪我や疲労との戦いも、精神的な葛藤も
その一瞬のために向かっていて、
その一瞬の中である種の答えを得る。
努力してきたことが報われる時もあれば、そうでないことも。
ホッとしたり、落ち込んだり。
どちらにしても、大抵舞台メイクがぐしゃぐしゃになる結果に。
「ラ・バヤデール」の舞台が終りました。
元々ドラマチックな役柄が好きなのですが、
今回、ニキヤと言う女性を踊ることが出来て、本当に幸せでした。
終ってしまって、今はちょっと寂しいくらい。
長い長いソロにはもちろんきちんと振付がありますし、
毒蛇に噛まれ最終的に死を迎えるまでの演技には大体の流れが存在しています。
それでもこの踊りにはとても自由な幅があって、
毎回変化していく感じが凄く好きでした。
それを特に感じたのは、通し稽古が始まってから。
神にニキヤへの愛を誓っておきながらも彼女を裏切り、それでいて戸惑いや辛い気持ちを隠せない恋人ソロル。
身分と権力、そしてその華やかな美しさと輝きでソロルを完全に奪い取ろうとするガムザッティ。
自分の当初の計画とは異なる方向に動き出した運命の中でも、ニキヤを我が物にしたいバラモン(大僧正)。
娘の幸せや自分の意向のためならどんなことだってしようと考えるラジャ(ドグマンタ)。
物事の善悪や理性ではなく、主人の命令に従うアイヤ(ガムザッティの侍女)。
そして残酷な現実を突きつけられながらもひたすらに恋人ソロルとその愛を信じようともがくニキヤ。
それぞれの想いや思惑がこれだけあちこちで交差するのですから、毎回変化していくのも当然だと思います。
人(相手)とのインターアクションの面白さを今回改めて感じました。
ソロ部分の抜き稽古時に頭の中で想定した「ガムザッティ」と戦うのと、実際にその場にいるガムザッティと正面から向き合って戦うのとでは全く異なる。
それと同様に、架空のソロルに思いをぶつけることと、実際に目の前にいる彼に対して「それでも愛している/信じている」と訴えることは全くの別物。
相手からの反応でまた自分の動きも変わって行く。その相互作用がとても刺激的でした。
終演後、ビックリすることが起きました。
舞台監督の方がわざわざ楽屋に来て下さって、
「これはRinちゃんのために作った花だから、良かったら記念にあげる」
と実際に使った花籠をプレゼントして下さったのです。
まさか頂けるなんて思っていなかったですし、
このような贈り物をされたことは初めてだったので、ただただ感激してしまいました。
ニキヤにとって花籠は、自分の命を奪う毒蛇を底に秘めた恐ろしい存在。
そして、実際にはラジャとガムザッティが邪魔なニキヤを亡き者にしようと言う企みによって
準備したものであるわけですが、それでも、彼女にとっては消えてしまいそうな希望に
もう一度だけ光を灯してくれた存在であり、最後に信じようとした愛のシンボルだったのだと
改めて想うのです。
だからこそ、本当にこの素敵なサプライズには感激してしまいました。
「いつか踊ってみたいな」
と想っていた役は、
「大好きな役」
へと変わりました。
悲しい気持ちに押し潰されそうな時
泣いても泣いても涙が止まらない時
いつかこれが何かの力になる、自分の糧となる
だから、無駄になんてしない、この苦しさも自分の一部にするんだ
そんな風に無理やり考えようとしている自分がいることに気付きます。
それは精一杯の負けん気で
強引なポジティブ・シンキング。
それでも、その最中にいる時はやはり気持ちを完全に奮い立たせるのは難しいことだなと痛感します。
そんな時に踊るなんて無理じゃないか。
心の中で様々な感情がぐるぐる回っている中、どうやったら気持ちを集中させられるのか。
冷静でいられるのか。
そんな風に思いながらも、
心の奥底に押し込めた気持ちを吐き出す方法が、
表現する場所が、
こうしてあることを感謝している自分に気付いていたりもしています。