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2010年6月アーカイブ


素晴らしい舞台を観た後は、その曲がしばらく延々と頭の中で流れ続けます。

その中でも、なかなか席から立ち上がることが出来ないほどの感動を覚えた公演の後では、その舞台で踊っていたダンサー達の残像と共に繰り返し脳内で再生され、身体がぶるると震えてしまうのです。


「うたかたの恋(原題:Mayering)は、1889年1月にマイヤリングで起きた皇太子ルドルフと愛人マリー・ヴェッツェラの謎の死を題材とし、未だ様々なミステリーや憶測に包まれるこの悲劇とそれが起きるまでの数年間を描いた作品です。


幕開きは、雪の降りしきる真夜中の墓場。
(つまり、エンディングにあたる部分が冒頭で少し描かれているのです。)
これから語られる主人公達の暗い運命を暗示するかのような重々しい空気で始まりますが、次の瞬間、舞台は一変し、ルドルフ皇太子とステファニー王女の結婚式が厳粛に行われます。


2人を先頭に貴族達が登場するシーンは圧巻です。堂々たる風貌と威厳溢れる雰囲気、そして重厚な衣装をさらっと着こなす凛とした美しさ、誇り高さ。
シュツットガルト・バレエの「ロミオとジュリエット」を観た際にも貴族のシーンの風格に圧倒されましたが、ロイヤル・バレエのそう言ったシーンにも、毎回息を飲んでしまいます。


イオーナ・ルーツ演じるステファニー王女は、控えめで上品、そして儚げな雰囲気。
結婚式で悪乗りし、これ見よがしにステファニーの妹と踊ってみせる新郎のルドルフを困惑した表情で見つめるその様子からは、プライドを傷付けられた悲しさと恥ずかしさに包まれる彼女の不安げな気持ちが伝わってきました。
それでも、侍女達に励まされながら初夜の準備を整えるステファニー。
ナイトガウンを選ぶ様子は、恋する少女のようにも見えます。


ようやく姿を現した夫は、ピストルを新妻のこめかみにあてた後、宙に向って発砲し彼女を怯えさせます。
身体を強張らせる彼女に、さらに髑髏を押し当て恐怖を煽るサディスティックなルドルフ。


ここで、1幕のハイライトとも言えるパドドゥ(ルドルフ×ステファニー王女)が踊られます。
マクミランの振付らしく、ダイナミックなリフトが多様された流れるようなパドドゥですが、2人の関係を映し出した心の通い合わない踊りには胸が締め付けられます。

ルドルフはステファニーを高くリフトし、そこから重力に任せるかのように彼女を無造作に振り下ろします・・・それも何度も。
そして半ば強引に激しい踊りを繰り広げたかと思えば、乱暴に彼女をその場に置き去りにするのです。


感情の爆発、そしてだらりとした女性の手足は、同じマクミラン振付の「ロミオとジュリエット」の一シーンである仮死状態のジュリエットとロミオのパドドゥや、「マノン」の沼地のパドドゥ(ヒロイン、マノンは瀕死の状態となっている)を彷彿とさせましたが、それらと圧倒的に違う点は、2人の間に愛が存在していないと言う点です。

ルドルフに怯えながらも何度も彼に向って飛び込んでいっては、相反するように逃げようとするステファニー。
観客には早くも追い詰められた彼女の必死さがひしひしと伝わってくるのに、ルドルフはステファニーには感情など存在しないかのように――あたかも彼女が物か何かであるかのように扱うのです。

しかし実際のところ、このシーンを踊るのには、物凄い信頼関係と互いへの理解が必要なのだと思います。
「うたかたの恋」の中に数多く出てくるパドドゥの中で、最も好きなものの1つがこのシーンなのですが、イオーナ・ルーツとアコスタの熱演には鳥肌が立ちました。

先述した通り、この作品では見せ場となるパドドゥが多数登場します。

ルドルフと彼を取り巻く5人の重要な女性達(上記の妻ステファニー王女、母親であるエリザベート皇后、愛人マリー・ヴェッツェラ男爵令嬢、かつての愛人マリー・ラリッシュ伯爵夫人、愛人の高級娼婦ミッツィ・カスパー)とルドルフは次々と難解でドラマチックなパドドゥを繰り広げます。

それぞれの女性とルドルフとの関係性が明確に表現されているだけでなく、次第に狂気の度合いを増し闇に飲み込まれていく彼の精神状態が浮き彫りになっていく様は壮絶です。

いずれも超絶技巧と呼ぶべきリフトが「これでもか!」と登場します。

「うたかたの恋」は男性主人公がストーリーを率いていく数少ないバレエ作品の1つですが、男性舞踊手にとって最も難解で挑戦しがいのある役だと何かで読んだことを思い出し、「なるほどなあ」と思いました。

1幕では、まだ幼いマリー・ヴェッツェラも登場します。
また、かつての愛人で、後にマリーとルドルフの間を取り持つこととなるラリッシュ伯爵夫人が、ルドルフとの関係を取り戻そうとする場面(パドドゥ)も繰り広げられます。

そして2幕は娼婦と客達の集う酒場から物語は再開されます。
変装して登場するルドルフとステファニー。
ステファニーは無理矢理ルドルフに連れてこられたわけですが、その場の淫靡な雰囲気に嫌気がさし、一人で帰ってしまいます。


このシーンではルドルフと愛人ミッツィ・カスパーのパドドゥが登場します。
ステファニーに対するような乱暴さはないものの、やはり2人の間に愛のようなものは見えません。後先考えずにこの瞬間をただ楽しんでいる、そんな恋愛模様が見え隠れしていました。

モレーラ演じるミッツィは、妻ステファニー王女の前ではルドルフを我が物のようにアピールしつつ、彼から「一緒に死のう」と持ちかけられると迷わずあっさり断るような愛しかルドルフに対して抱いてはいなかったのです。


2幕のハイライトとなるのは、成長したマリーがルドルフの寝室を訪れるシーンです。
彼女がルドルフに憧れを抱いていることを知ったラリッシュ夫人(マリーの母親とは友人関係)は、2人の仲を取り持つべく、マリーの手紙をこっそりとルドルフに渡します。

ルドルフの部屋を訪れたマリーは、コートの下には寝間着しか着ていないと言う大胆な姿で彼を驚かせます。
そして、自らルドルフの所有物である髑髏やピストルに興味を示し、銃口をルドルフに向けて彼を脅かした後に宙へ向って発砲し、楽しそうに笑うのです。

それはまるで、ステファニーとルドルフのパドドゥ冒頭部分の役割が逆さまになったかのようですが、すぐさまルドルフはピストルを取り上げ、威厳と威圧感を取り戻します。

ここでのパドドゥがまた物凄くダイナミックです!

若さゆえか無謀とも言えるほど大胆なマリー。
今までの誰とも違う様子で愛をぶつけてくるマリーに押さえ込んできた感情を爆発させるルドルフ。
最後は複雑に身体を絡み合わせながらキスをするシーンで幕が下りるのですが、2人の破滅的な暴走ぶりに再び胸が苦しくなります。

最終幕である3幕で、ルドルフはさらに追い詰められていきます。

物語の中では、妻や愛人達との関係だけでなく、父である皇帝や母である皇后との確執、ターフェ伯爵を初めとする人達との政治的思想のぶつかり、皇太子としての重圧など、ルドルフの抱く様々な葛藤が描かれます。
登場時からエキセントリックな面を持っていたルドルフではありましたが、徐々に彼の精神が崩壊していく様子はあまりにもリアル且つ残酷で胸をえぐられるようでした。


ミッツィがあっさりと断った心中を、マリーは躊躇わず受け入れます。
ようやく一緒に死んでくれる相手を見つけたルドルフ。腕に自らモルヒネを注射する痛々しい様子から、マリーとの最後の激しいパドドゥが始まります。

自分の全てを「愛」と言う名の下にルドルフに委ねるマリー。
ピストルを共に握り締めながら踊る血気迫るこのシーンでは、再び想像を超えるようなリフトの連続が繰り広げられます。

愛を交わした後、ルドルフはマリーを射殺します。

その後、自身で放った銃弾にルドルフも倒れますが、このピストルを発砲するシーンはついたてで覆われているため、観客には見ることが出来ません。
ただし、ルドルフがついたてに覆い被さりながら倒れることで、その惨劇の結末が明らかにされるのです。大の字になってうつ伏せに倒れているルドルフの表情を伺うことは出来ませんでしたが、ベッドの上で恍惚とした表情で美しく横たわるマリーの姿とは明らかに対照的で、そこはかとない悲しさを感じました。


そして舞台は、冒頭のシーン、すなわち墓地の場面で幕を閉じます。

死による解放を望んでいたルドルフ。
果たして彼は最終的にその願いが遂げられて幸せだったのか、と考えずにはいられませんでした。

幼い頃から愛に飢え、自分の居場所を見失い、現実と向き合うことが出来ずにいたルドルフに、無防備とも言えるマリーの愛は本当に届いたのか。

2人の対照的な亡骸が示唆しているように、最後までルドルフは誰とも本当の意味で心を交じ合わせることが出来ないまま、この世を去ってしまったのではないのだろうか、と。

究極の愛を成就するために心中に臨んだマリーと、この世の煩わしい全てのものから解き放たれることを願って死を渇望していたルドルフとでは、向いている方向が違ったのかもしれません。

そう思うと、彼の孤独さがさらに浮き彫りになり、「本当にこんな結末しかなかったのだろうか」「他の道はなかったのだろうか」とそう思わずにはいられませんでした。


肉体的、精神的な限界に挑戦せよとでも言わんばかりのこの大役を見事に演じきったカルロス・アコスタには脱帽するばかりです。
彼のダイナミックな踊りには今までに何度も圧倒されましたが、今回、その素晴らしさを再認識することとなりました。
また、彼が演じてきた役の中で一番のはまり役のように思いました。


それから、大好きなタマラ・ロホ。
彼女の物凄く安定したテクニックは超人的でもありますが、そのラインの素晴らしさやバランス感覚、5~6回簡単に回ってみせる技術などが堪能できる「ドン・キホーテ」や「エスメラルダ」と言った作品に限らず、今回のような演劇性の強い作品でもやはり観客を飲み込んでしまうような迫力は圧巻です。
また、女性らしい身体つきと美しくしなる足を持っている彼女は、マリーの衣装がとても似合っており、官能的でした。まさにファム・ファタルと言った雰囲気です。


書くべきことが多すぎて、思うように触れられませんでしたが、ラリッシュ伯爵夫人を踊ったマーラ・ガレアッツィも素晴らしかったです。
打算的な面があちこちで見られるのに、それでもルドルフを一番心配し、理解しようとした女性は彼女だったのではないかと思いました。
マーラは、別日にマリー・ヴェッツェラ役にキャスティングされています。全く異なる役を彼女がどんな風に演じるのか、とても興味があります。
(最近DVD化したロイヤル・バレエ団の「うたかたの恋」では、マーラがマリー役を演じています。もちろん早速購入しました!)


長々と書いてきましたが、恐ろしいことに書き足りないことがまだまだ山ほどあります。どうしたら良いのでしょう。

「うたかたの恋」の素晴らしい点は、登場人物1人1人にしっかりとしたキャラクター(性格)が宿っている点だと思います。
それ故に、一度の舞台に大勢のトップダンサー達が会すると言う贅沢な楽しみも味わうことが出来ます。

今回で言えば、プリンシパルクラスが6名!(プリンシパル・キャラクターアーティストを含む)

ルドルフ役のアコスタ、マリー役のタマラ、ラリッシュ伯爵夫人役のマーラ、ミッツィ・カスパー役のラウラ・モレーラ、マリーの母親役のエリザベス・マクゴリアン、ルドルフの父であるフランツ・ヨーゼフ皇帝役のクリストファー・サウンダース。


本当に豪華です!


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英国ロイヤル・バレエ団
「うたかたの恋(Mayering)」

2010年6月22日(火) 18時30分開演
東京文化会館

ルドルフ:カルロス・アコスタ(オーストリア=ハンガリー帝国皇太子)
男爵令嬢マリー・ヴェッツェラ:タマラ・ロホ(ルドルフの愛人)
伯爵夫人マリー・ラリッシュ:マーラ・ガレアッツィ(皇后付きの女官、ルドルフの元愛人)

ステファニー王女:イオーナ・ルーツ(ルドルフの妻)

ブラットフィッシュ:リカルド・セルヴェラ(ルドルフの個人付き御者、人気者の芸人)
ミッツィ・カスパー:ラウラ・モレーラ(ルドルフの馴染みの高級娼婦)

オーストリア=ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ:クリストファー・サウンダース(ルドルフの父)
エリザベート皇后:クリステン・マクナリー(ルドルフの母)
男爵夫人ヘレナ・ヴェッツェラ:エリザベス・マクゴリアン(マリー・ヴェッツェラの母)

四人のハンガリー高官:ベネット・ガートサイド、アンドレイ・ウスペンスキー、蔵健太、トーマス・ホワイトヘッド(ルドルフの友人)

カタリーナ・シュラット:エリザベス・シコラ(独唱)
アルフレート・グリュンフェルト:ポール・ストバート(ピアノ独奏)

ゾフィー大公妃:ウルスラ・ハジェリ(フランツ・ヨーゼフの母)
ベイミードルトン大佐:ギャリー・エイヴィス(エリザベートの愛人)
エドゥアルド・ターフェ伯爵:アラステア・マリオット(オーストリア=ハンガリー帝国の首相)
ホイオス伯爵:エリック・アンダーウッド(ルドルフの友人)
ルイーズ公女:エマ=ジェーン・マグワイア(ステファニーの妹)
コーブルグ公フィリップ:デヴィッド・ピカリング(ルイーズの夫、ルドルフの友人)
ギーゼラ公女:サイアン・マーフィー(ルドルフの姉)
ヴァレリー公女:フランチェスカ・フィルピ(ルドルフの妹)

ヴァレリー公女の子供時代:リャーン・コープ
マリー・ヴェッツェラの子供時代:タマラ・ロホ

ロシュック:ミハイル・ストイコ(ルドルフの従者)
ラリッシュ伯爵:ヨハネス・ステパネク

その他、来客、メイド、娼婦、紳士、使用人、侍女など:英国ロイヤル・バレエ団

指揮:バリー・ワーズワース

演奏:東京フィルハーモニー交響楽団

TITLE :

先日、コンテンポラリーのダンサーと一緒の舞台に立つ機会がありました。


根底の部分で繋がっているであろう、バレエとコンテンポラリー(現代舞踊)。


それでも表現の仕方は様々で、向っている方向も「似ている」と思う部分と「異なっている」と言う部分が多数混在していてとても刺激を受けました。


踊った演目がそれぞれ対照的な作品だったからこそ、余計にそう思ったのかもしれません。

互いに舞台袖からお互いの踊りを観ていたわけですが、終演後、


「バレエって素敵ですね。踊ってみたくなりました。」
「バレエってやっぱり良いなあ。」


と言葉をかけてもらったことが何よりも嬉しかったです。


何故なら、こちらの方こそ彼女達の踊りを観ながら、羨ましいと感じていたからでした。

今回私達が踊った作品には、たくさんの制限や制約と言うものがありました。

作品が長い歴史の中で守り続けてきたスタイルや雰囲気、ニュアンスを「理解し、継承し、再現しよう」と努力すること――それは途方もなく大変な作業でした。

それらが前提にあった上で、見出すべき自分らしさと自由。

窮屈だとか息苦しいとは思いませんでしたが、「とても大きな重圧を抱えながら挑んでいる」と言う意識は常にあったと思います。


そんな時に舞台袖から見えた、自分を解放するかのような踊り。


素直に、「良いなあ」と見惚れました。


自分の作品と比較してどう、と言うのではなく、純粋に「こう言う踊りや表現も素敵だな」と言う憧れでした。


ですから、相手も同じように感じていたと言うのは、大袈裟のようですが、ちょっとした奇跡のようにも思えたのです。


異なるジャンルに属する相手から受ける刺激は、そのまま自分自身や自分の属するものを見直す鏡のようでもあるのかもしれません。




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