奥深い和文化の世界を一緒に探求してみませんか?
浮世絵作家・浮世絵研究家の妃呂麿が、浮世絵や日本の文化を学びながら感じたことを語ります。
TITLE : 園芸
江戸と言う都市は、将軍家から一般の庶民に至るまで、
様々な階層の人たちが同じ場所で生活をしていました。
居住地の規制は身分によって行われており、武家地が全体の面積の7割、
町人地が全体の面積の2割弱、他、寺社地、幕府御用地と分けられていました。
遺跡調査によると、大名屋敷には庭園の跡が発掘され、18世紀後半以降には
植木鉢が大量に発掘されていることから、当時は園芸ブームがあったと言われていますが
浮世絵の中にも、その様子が垣間見られる作品がたくさんあります。
歌川芳虎「座しき八景の内 上漏の松の雨」や月岡芳年「風俗三十二相 かいたさう」
など当時の人が、いかに栽培や鑑賞に慣れ親しんでいたのかが目に見えるようです。
御殿に庭園、池があったとされることから、江戸は、緑が多い都市だったのですね。
【参考図録・文献・引用著作物】
江戸園芸花尽くし、2009、太田記念美術館
発掘が語る千代田の歴史、1998、千代田区教育委員会
TITLE : 腰掛茶屋
腰掛茶屋
腰掛茶屋とは、江戸時代、道ばたや社寺の境内で、
湯茶などを供して休息させた茶屋のことをいいます。
『守貞漫稿』によれば、最初に1斤の価6匁くらいの茶を茶濾の小笟に入れ、
上から湯を注したものを出し、しばらくいると、別に所望しなくても塩漬の桜か
香煎を白湯に入れて出し、客の置く茶代は、1人で100文置く者もいるし、
4、5人で100文あるいは200文置くこともありますが、1人の場合、標準は
24文から50文の間であるとのことです。
腰掛茶屋は、水茶屋と言われることもありますが、掛行灯(※1)に屋号を記した
葭簀張(※2)の簡易な店に、湯沸かし釜や湯呑みを載せた茶棚と腰掛け、あるいは
縁台を置き、前掛けを締めて茶托を持つ女が茶を給仕するといった様子が
浮世絵の至る所で見受けられます。
鈴木晴信や喜多川歌麿などの美人画に「笠森稲荷境内の鍵屋おせん」
や「浅草境内の難波屋おきた」という浮世絵がありますが、彼女等は給仕の女性として
評判が高かったようです。
作品の女性も看板娘のつもりで描いてみました。
【フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より】
※1・掛行灯(かけあんどん)...店の軒先などに掛け、屋号や商品名を書いて
看板としたもの。夜間も店を開けている飲食店などに多かった。
【YAHOO!百科事典』より】
※2・葭簀張(よしずばり)...スゴロ、ヨシなどとよばれる植物の茎を
編んでつくった簀(す)。かやず、たけずより上等品とする所が多い。
細めながらじょうぶで軽いので、巻いて持ち運ぶのに好便とされてきた。
【参考引用文献】
大江戸日本橋絵巻-「煕代勝覧」の世界-、2003、浅野秀剛編 吉田伸之編
浅野秀剛〔ほか〕、講談社
- 妃呂麿
- 浮世絵研究家、浮世絵作家。早稲田大学人間科学部e-school人間情報科学科在学中。国際浮世絵学会会員。創作浮世絵、風刺画を独自の手法で描きながら、浮世絵の研究を続けている。
http://www.hiromaro.com
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